2009年03月22日
くじらのしっぽ
今。。。どこから、何から話したらいいのか困惑しながらも、
伝えたいことがいっぱいありすぎて。。
そして、今、伝えなければ忘れてしまいそうで、
忘れることがとても勿体無くて、
そしてきっと共感してくれる誰かに話をしたくてこれを書き始めています。
今日は大地幼児教室でのワークショップ、
無意識と対話する「くじらのしっぽ」の日だった。

「くじらのしっぽ」とは無意識の中にあらわれる‘いのちのはたらき‘です。
主宰はセラピスト手塚郁恵さん。
以下、手塚郁恵さんのご紹介です☆
様々な方の「いのちのこえ」に耳を傾け、寄り添う中で、いのちの不思議さ・神秘さをからだで感じる体験を重ねる。
現在「ぽこぽこ」という古い民家で「無意識と対話するワーク・くじらのしっぽ」を主宰。
日本ホリスティック教育協会顧問なども務める。
著書「詩集こころ ことば いのち」他多数。
長野市に来たときから大地に行ってみたくて、行ってみたくて仕方がなかった。
そして無意識と対話する、という言葉がすごく気になった。
今。。。私は自分の道を進みたいと思っている。。
でも何故か進めない。何かが足を引っ張っている感覚がある。。でもそれが何か自分でも分からなくて。
無意識の私を知りたいと思っていた。
だから今日はすごくすごく楽しみだった。
第1部は
郁恵さんの詩とそれに合わせてつけられた、いわつきえつこさんのハープ演奏でした☆
本当に素敵な演奏と詩。
心が深いところにまで降りていくのが分かりました。
第2部はミニワークショップ。
ワークは私の想像を超えていた。私の中に、こんなに小さくて無邪気で純粋で傷つきやすい私がいたなんて。
驚きと、衝撃だった。
最近、なんとなく、私って自分の感覚をすごく抑えていて、それがいい方向に結びついていないんだな、っていうことには気づき始めていた。
例えばね、引越すことがあまりにも悲しくて、「悲しんでいても仕方がない」って感情に蓋をしてしまったの。
でもそれは自分を殺すようなことだったと今は思う。
私、今、すごく自分として生きたがっている!
でもそれは母としてであったり、妻としてであったりする私と相反している気がして。
それも苦しみになっていた。
一生懸命、頭で考えて、自分をコントロールしようとしていたんだと思う。
それが無理だったんだよね。
「私達のいのちの根源には、もうどうしようもなく強烈な「自分を生きたい」という衝動があります。
自分の中に流れている感覚、無意識の中にある、いのちのはたらきとつながって生きることこそが、自分を生きたい、ということなのです。
自分の中からふと出てくる言葉は、その瞬間の、自分の言葉。
それが、その瞬間の、自分なのです。
私たちの無意識のなかに流れているいのちは、すべての人、すべての存在とつながっています。
そこから生まれる一体感やつながりの感覚は、深いところから私たちを満たしてくれる源泉なのです。
私たちは大きないのちのつながりのなかに生きるのです。
自分を生きたいということは自己中心やエゴではありません。
いのちの根源につながることです。」
私って素直に泣けないんです。
これも頭で一生懸命コントロールしているからだと思うんだけど、そのため感情を流すということがとても苦手。
でも今回は本当の自分の心に沿って話すことができたから、いくえさんと面と向かうと最初から涙、涙。
私ってこんなにいっぱいいっぱい抱えていたんだな~って思った。
最後にいくえさんに言われた言葉。
「この苦しみはきっと意味があるはずですよ。
苦しいっていうことは、次への新しいスタートラインに立っているということですよ。」
本当にそんな気持ちになりました。
newあんこだまへの道も山に差し掛かっている気がします。
伝えたいことがいっぱいありすぎて。。
そして、今、伝えなければ忘れてしまいそうで、
忘れることがとても勿体無くて、
そしてきっと共感してくれる誰かに話をしたくてこれを書き始めています。
今日は大地幼児教室でのワークショップ、
無意識と対話する「くじらのしっぽ」の日だった。

「くじらのしっぽ」とは無意識の中にあらわれる‘いのちのはたらき‘です。
主宰はセラピスト手塚郁恵さん。
以下、手塚郁恵さんのご紹介です☆
様々な方の「いのちのこえ」に耳を傾け、寄り添う中で、いのちの不思議さ・神秘さをからだで感じる体験を重ねる。
現在「ぽこぽこ」という古い民家で「無意識と対話するワーク・くじらのしっぽ」を主宰。
日本ホリスティック教育協会顧問なども務める。
著書「詩集こころ ことば いのち」他多数。
長野市に来たときから大地に行ってみたくて、行ってみたくて仕方がなかった。
そして無意識と対話する、という言葉がすごく気になった。
今。。。私は自分の道を進みたいと思っている。。
でも何故か進めない。何かが足を引っ張っている感覚がある。。でもそれが何か自分でも分からなくて。
無意識の私を知りたいと思っていた。
だから今日はすごくすごく楽しみだった。
第1部は
郁恵さんの詩とそれに合わせてつけられた、いわつきえつこさんのハープ演奏でした☆
本当に素敵な演奏と詩。
心が深いところにまで降りていくのが分かりました。
第2部はミニワークショップ。
ワークは私の想像を超えていた。私の中に、こんなに小さくて無邪気で純粋で傷つきやすい私がいたなんて。
驚きと、衝撃だった。
最近、なんとなく、私って自分の感覚をすごく抑えていて、それがいい方向に結びついていないんだな、っていうことには気づき始めていた。
例えばね、引越すことがあまりにも悲しくて、「悲しんでいても仕方がない」って感情に蓋をしてしまったの。
でもそれは自分を殺すようなことだったと今は思う。
私、今、すごく自分として生きたがっている!
でもそれは母としてであったり、妻としてであったりする私と相反している気がして。
それも苦しみになっていた。
一生懸命、頭で考えて、自分をコントロールしようとしていたんだと思う。
それが無理だったんだよね。
「私達のいのちの根源には、もうどうしようもなく強烈な「自分を生きたい」という衝動があります。
自分の中に流れている感覚、無意識の中にある、いのちのはたらきとつながって生きることこそが、自分を生きたい、ということなのです。
自分の中からふと出てくる言葉は、その瞬間の、自分の言葉。
それが、その瞬間の、自分なのです。
私たちの無意識のなかに流れているいのちは、すべての人、すべての存在とつながっています。
そこから生まれる一体感やつながりの感覚は、深いところから私たちを満たしてくれる源泉なのです。
私たちは大きないのちのつながりのなかに生きるのです。
自分を生きたいということは自己中心やエゴではありません。
いのちの根源につながることです。」
私って素直に泣けないんです。
これも頭で一生懸命コントロールしているからだと思うんだけど、そのため感情を流すということがとても苦手。
でも今回は本当の自分の心に沿って話すことができたから、いくえさんと面と向かうと最初から涙、涙。
私ってこんなにいっぱいいっぱい抱えていたんだな~って思った。
最後にいくえさんに言われた言葉。
「この苦しみはきっと意味があるはずですよ。
苦しいっていうことは、次への新しいスタートラインに立っているということですよ。」
本当にそんな気持ちになりました。
newあんこだまへの道も山に差し掛かっている気がします。
2009年03月22日
辰巳芳子先生講演会
今日はとっても嬉しい日だった。
ずっとずっと会いたかった料理研究家の辰巳芳子先生に会えたから♪

長野にいながら。。。この情報は友人に聞きました。
Tちゃん、本当にありがとう~☆
辰巳芳子先生の本を読んで。。今でもその当時の驚きは覚えている。
「味は素材でおのずと決まるもの」
この言葉に最初は???
味ってつけるもじゃないの??
素材の味がしっかりあれば。。。調味料って添えてあげればいいんですよね。
やっと気づいたのでした。
著書の出会いから数年。
辰巳芳子先生は水晶のように透明で、磨がれたナイフのようによく切れる方だった。
先生って御年いくつなんだろう。。。
話す言葉にタメがないの。
「えっと」もないし。
話し言葉でもものすごく吟味されていた。
辰巳芳子先生が今力を入れている大豆100粒運動。
大豆100粒運動のお話の中で一番心に残った言葉。
100粒運動の‘意思‘の冒頭の言葉。
「生命はもろいものです。」
人は何故食べるのか。
人が成り立っている、もろいバランスを守るため。
食べることで細胞の刷新が行われている。
また食べることで魂も養われている。
細胞が欲しがっている手ごたえ感が人間らしさの基本になる。
薄紙を重ねるような毎日の食べる作業で、人は自分を信じられるようになる。
自分を信じることで人を信じられるようになる。
希望も育つ。
信じることと、希望は両輪のようなもの。
両方がないと愛は育たない。
愛とは、対象の上に良いことを願う、意思です。。。。
辰巳先生が講演中、何回も言っていた言葉は
「人間らしく」生きる、ということだったように思う。
人とは考えること。
実際に考えたことを動くこと。
書くこと、残すこと。
いい判断力をつけること。
賢く選ぶこと。。。。
これを小学校から交流を続けている新中学生にも語っていた。
辰巳芳子先生はその子ども達や先生のこともすごくよく覚えていた。
それに色紙を渡されると本当に心から嬉しそうに受け取っていた。
すごい人は小さな人、小さい出来事を本当に大切にできる。
私は辰巳芳子先生とその子ども達の交流を見ていて、涙が出ちゃった。
辰巳芳子先生がピュアで、対等で、知恵を伝えていて。
子ども達はちゃんと応えていて。
すごいなあと思った。
人の生きる道って色々あるんだと思う。
でも本当の生きていく道って一本で、その人なりの色がかかっているだけなんだと思う。
私のその色はなんだろう。
今日のお話でもあった。
「続ける中で何かが生まれる。」
今の感じていることを大切に自分なりに続けていこう。
ずっとずっと会いたかった料理研究家の辰巳芳子先生に会えたから♪

長野にいながら。。。この情報は友人に聞きました。
Tちゃん、本当にありがとう~☆
辰巳芳子先生の本を読んで。。今でもその当時の驚きは覚えている。
「味は素材でおのずと決まるもの」
この言葉に最初は???
味ってつけるもじゃないの??
素材の味がしっかりあれば。。。調味料って添えてあげればいいんですよね。
やっと気づいたのでした。
著書の出会いから数年。
辰巳芳子先生は水晶のように透明で、磨がれたナイフのようによく切れる方だった。
先生って御年いくつなんだろう。。。
話す言葉にタメがないの。
「えっと」もないし。
話し言葉でもものすごく吟味されていた。
辰巳芳子先生が今力を入れている大豆100粒運動。
大豆100粒運動のお話の中で一番心に残った言葉。
100粒運動の‘意思‘の冒頭の言葉。
「生命はもろいものです。」
人は何故食べるのか。
人が成り立っている、もろいバランスを守るため。
食べることで細胞の刷新が行われている。
また食べることで魂も養われている。
細胞が欲しがっている手ごたえ感が人間らしさの基本になる。
薄紙を重ねるような毎日の食べる作業で、人は自分を信じられるようになる。
自分を信じることで人を信じられるようになる。
希望も育つ。
信じることと、希望は両輪のようなもの。
両方がないと愛は育たない。
愛とは、対象の上に良いことを願う、意思です。。。。
辰巳先生が講演中、何回も言っていた言葉は
「人間らしく」生きる、ということだったように思う。
人とは考えること。
実際に考えたことを動くこと。
書くこと、残すこと。
いい判断力をつけること。
賢く選ぶこと。。。。
これを小学校から交流を続けている新中学生にも語っていた。
辰巳芳子先生はその子ども達や先生のこともすごくよく覚えていた。
それに色紙を渡されると本当に心から嬉しそうに受け取っていた。
すごい人は小さな人、小さい出来事を本当に大切にできる。
私は辰巳芳子先生とその子ども達の交流を見ていて、涙が出ちゃった。
辰巳芳子先生がピュアで、対等で、知恵を伝えていて。
子ども達はちゃんと応えていて。
すごいなあと思った。
人の生きる道って色々あるんだと思う。
でも本当の生きていく道って一本で、その人なりの色がかかっているだけなんだと思う。
私のその色はなんだろう。
今日のお話でもあった。
「続ける中で何かが生まれる。」
今の感じていることを大切に自分なりに続けていこう。